佐藤薫子のマナーコラム



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Kaoruko SATO
プロトコールジャパン㈱創始者

  • 1984年マナーズ&コミュニケーション設立。サロンを主宰するとともに官公庁・企業・学校において
  • 講演、企画提案、コンサルタントにあたる。アメリカ在住時も駐在日本人へのプロトコール指導、
  • NY読売新聞でコラムを連載する。
  • 帰国後は現顧問でプロトコールの第一人者リヒターの思いを忠実に日本で広めるべく活動を続ける。
  • 80年代から日本でプロトコールを伝え続けている草分け。
  • 2001年『Manners Book(インターナショナル エチケット&おもてなしのテーブル)』出版
  • (2004年第2版)。2007年『テーブルコーディネート&おもてなし事典(プロトコール流)』出版
  • 2013年『はじめての国際社交学プロトコール流』出版






佐藤薫子の暮らしに生かす
目からウロコマナー編」

第4回  紅茶の文化とマナー

イギリスの紅茶はマナーと共に

イギリスのチャールズ2世の王妃キャサリンやアン女王に始まる宮廷の茶は時代を経ても優雅さに変わりなく、それはヴィクトリア女王の治政下で最盛期を迎えました。ヴィクトリア女王はティーマナーを推進しました。その頃はフランスやイタリアと比べイギリスのマナーは遅れていました。女王は温かな毛布と温かな紅茶を国民に不自由させないのが女王の勤めと信じていたのです。このことはイギリスが紳士の国として名を馳せる要因にもなりました。そして<レディース アンド ジェントルマン>の言葉を生み、イギリスから世界に普及しました。紅茶は単なる飲料ではなく、マナーと共に歩んできました。まるでそれは日本の茶道のように。

日本・中国の茶碗からカップ&ソーサーへ

17世紀前期、日本と中国の陶磁器は、その美しさにおいてヨーロッパの貴族たちには羨望の的でした。最初はオランダ船での交易で、初めて茶を飲む道具は彼らの手に渡りました。現在のようなティーカップではなく、取手のないお茶碗でした。お茶碗を片手に持つ貴婦人の絵画も現存しています。不便さを感じ、合理的な考えを持つヨーロッパ人は、もっと持ちやすいように茶碗に取手をつけました。そしてカップを乗せる受け皿を含めで1対としてカップ&ソーサーになりました。それは切り離せないものです。受け皿のないマグカップはお客様用ではありません。

レディーの振る舞い

着席で紅茶を頂く際はテーブルの上からカップだけを取り、ソーサーは手に取りません。しかし、立食の場合などテーブルから離れて紅茶を頂く時はソーサーをしっかり持ち、背筋を伸ばして椅子に深くかけます。それがレディーの証拠になります。話す時は相手の目を見て、静かな声で話します。そして紅茶を一口頂きソーサーに戻すエレガントな仕草と、立て続けに飲み子供っぽく見える方法のどちらを選ぶかはあなた次第です。カップの取手を右手でもち、顎を上げ過ぎないように静かにいただきましょう。


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第5回「古代エジプト・時代を生き抜いた女性」LinkIcon